イキオイ余って書いちゃう

警告
今日の日記は暑苦しいです。その上たぶん長いです。サッカーに興味のない方、暑苦しい文章が嫌いな方、体調の優れない方は閲覧を中止してください。
お願い
今日の日記に書いてある内容は、全て僕の記憶に基づいています。この日記を書くに当たって追加調査等はしていません。多少の事実誤認は許容して、広い心で読んでいただけるとありがたいです。

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4年にわたるジーコ政権の、そもそものケチのつけはじめは、監督の選考そのものから始まっている。
2002年大会。日本は開催国の最低条件といわれた1次リーグ突破を無事果たし、国としてのキャリアの階段を一つ上がった。チームを指導したトルシエ監督は、エキセントリックな言動と過度に戦術を重視するスタイルで、就任期間中批判を浴び続けたが、少なくとも世界の1.5流国と互角に戦うための方策を示し、最低限の約束は守った。
次の4年間、代表を指導する監督は、トルシエの置き土産の中からよい部分を引き継ぎ、日本をもう一段ステップアップさせることが求められていた。さらにいうと、ベテランになった96年オリンピック組と、キャリアのピークを迎える99年ユース組が融合した、日本サッカー史上最も世界を知っているチームを率いるという意味でも、監督の責任は大きいはずだった。
しかし、その監督選考は多くのファンにとって納得のいかないものだった。ジーコという、世界的名選手であり、日本に縁の深い、しかし監督としては(ほぼ)一切のキャリアを持たない人物を監督として雇った理由(経緯なりビジョンなり)を、日本サッカー協会は示せなかった。多くの人が、川淵会長が先走ってやらかしたんだろうと勘ぐったし、おそらく実際そうだっただろう。
マスコミの内、大手スポーツ紙と週刊誌はこの問題を積極的に取り上げていたように記憶している。自国開催のワールドカップの余熱がまだ冷めやらぬ折。スポーツトピックとしてもゴシップとしても話題性十分であった。しかし、実際に協会がジーコとの契約を結び、チームが始動し、親善試合の日程が決まり始めると、この話題は紙面から消えていった。

そして、ここからなんとも不思議な4年間が始まる。

4年間に渡って、ジーコは代表監督がするべき仕事を反面教師という形でわれわれに示し続けた。大げさな表現ではあるが、あいにくジーコが持ち合わせていなかった資質がすなわち代表監督に必要な資質だったとすら思えた。例えを挙げるなら、2006年にドイツで戦えるチームを作り上げるのが彼の仕事であるはずなのに、2002年末ごろの代表スタメンには秋田や奈良橋がいた。2006年には引退している可能性も高いベテランである。どう贔屓目に見てもビジョンがないし、Jリーグを研究していい選手を発掘する努力を怠り、勝手知ったる身内の鹿島から選んできたとしか思えない。同様の例は、枚挙に暇がない。

しかし、不思議なことに、サッカー専門誌やWeb媒体を除く大手マスコミは、ジーコをほとんど批判しなかった。スポーツ紙は「得点力不足」や「連携不足」という見出し文字だけを弄り、あるいは得点を決めた選手個人を賞賛するだけで、そこから一歩踏み込むことをしなかった。テレビにいたっては、自らの立場をいちサポータと規定し、「ガンバレ日本」的なスタンスに終始した。
巷ではジーコ解任要求デモが行なわれたこともあったが、デモの参加人数が少なかったこともあり、マスコミには無視された。

そして、その結果がこのザマだ。僕は、マスコミの責任は大きいと思う。

確かに、トルシエ前監督のときはやりすぎた。トルシエは名声という意味ではジーコよりはるかに無名であり、また日本人にはなかなか理解しがたいそのパフォーマンスがマスコミの格好の標的になってしまった感がある。パパラッチ的にそのプライベートまでを追いかけ、イメージ論だけで解任だと騒ぎ立てた。
きっとその反省なのかもしれないと思う。代表監督が心安く戦えるように、みんなで応援すべきだっていうことになったのかもしれない。あるいは、協会から圧力がかかったか。

日本はサッカーの世界ではやっと中堅国の仲間入りをしたに過ぎない。ここからもう一歩上に行くためには、いいことはいい、ダメなことはダメと、みんなが大きな声で言う必要があると思う。例えば巨人ファンがそうしているように。
そのためには、悔しいけれどやっぱりマスコミの力が必要なのだ。
「ガンバレ日本」で、女子アナが滝行なんてしなくていいから、
「ここがいいところ。ここが悪いところ。で、あなたはどう思う?」
という問いかけと、みんなが「良くないと思う」って言ったときは監督を解任させるくらいの大きな声を出す勇気を、マスコミには期待したいのだ。

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長文、お付き合いいただきありがとうございます。われながら見苦しい文章ですが、せっかく書いたので晒しておきます。